カテゴリー「作家 ま行」の記事

「格闘するものに○」

「格闘するものに○」 三浦しをん

三浦しをんさんお初。平易でユーモアのあふれる読みやすい文章。
過酷な就職戦線を、明るくつよく、時にへたれながら戦い抜く女子大生の奮闘を描く。

しかし大学生の就職活動ってほんとうにたいへんなんだね。とくに出版社などの人気企業は…何百倍という競争率を勝ち抜いていかなくてはならないなんて。
これを読むと、「もうやめたーっ」とフリーターに転向する気持ちもわからなくはないな、なんて思ってしまう。
それをやってワーキングプア地獄に陥っているひとも実際たくさんいるわけだけど。

主人公の可南子も、けっして頭が悪いわけではないし、行動力もあるし、自分をアピールする力だってあると思う。それなのに連戦連敗。
その就職戦線を勝ち抜いたはずの先輩社員は「該当するものに○」を「カクトウするものに○」なんて読んだりするような輩なのに…

選抜するもの(企業)とされるもの(学生)の上下関係ってなんだか理不尽だなあと思った。
しかしこの話に出てくるK談社の面接官みたいな人間、ほんとうにいるんでしょうか??

☆☆☆

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「永遠の出口」

「永遠の出口」 森 絵都

小学校、中学校、高校…そして社会人へ。
「永遠に~できない」という言葉によわくて、その言葉をいわれるたびに、取り返しのつかないことをしたと悔やみ傷ついていた少女、紀子が、いろんなひと達と出会い、別れ、ぐれたりもしながら大人になっていく半生を描いた物語。

子ども時代のことを思い出した。私の場合は「永遠」より「一生」だったような気がするけど。「一生しない」とか「一生できない」とか(基本否定形で使われる)、そういうことをいって遊んでた。
なんというか強い言葉、大仰な言葉で語るのが気持ちいい時期があったみたい。

あと、子どもの頃は「先生」というのは絶対で、特別な存在だったなあとか。今は職業のひとつとしか思ってないけど。

それから「お誕生会」とか「コッペパン」とか「好きな男の子」とか「ファンシー文具」とか…

そういうものを思い出し、そしてそういう気持ちを思い出した。

わたしはいつもどこか回りになじめない娘だった。友達は普通にいたし、いじめとかにもあったりしたことはない。
けれど、なんとなくまわりから浮いている気がしてた。そういう、不安な、孤独な気持ちも思い出した。

こころに響く文章がいくつかある。ひとつだけ引用してみる。

「私たちがもっと大きくなり、分刻みにころころ変わる自分たちの機嫌にふりまわされることもなくなった頃、別れとはこんなにもさびしいだけじゃなく、もっと抑制のきいた、加工されたむなしさや切なさにすりかわっていた。どんなにつらい別れでもいつかは乗り切れるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れるとわかっている切なさ。」

こういう本を読むと、もっと子どもの心に寄り添ってみようという気もちになる。

子どもは子どもで大変なんだよね、いろいろと。
大人に何を訴えても建前論で返されたらキツイだろうね。わたしも心のどこかではもうこれは通用しないだろうなあと思いつつ、ときどき建前論で返してしまうけれど。

☆☆☆☆

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「DIVE!」

「DIVE!」 森 絵都

「飛び込み」に全てを賭ける少年たちの葛藤、友情、闘いの物語。

主人公はまったくタイプの違う3人の少年、要一、知季、飛沫。そして彼らを見守る大人たちもまた「大人の事情」を抱えながらもピュアな情熱をもっている。

目的にむかってまっすぐに突き進むことのすばらしさを改めて思った。
大人になるといろいろと守らなければならないものが出来たり、限界を知ったりしてなかなかシンプルに突き進めなくなるけれど、目的意識だけは失っちゃいけないなと思う。

っていうか目的意識って(要一のことばをかりると「わくわくする」ことって)生きるうえで不可欠のものだろうな。

☆☆☆☆

ちなみにわたしはいまちょっと森 絵都ブーム。

彼女の小説には嘘やごまかしがない。生きることのつらさとか、孤独とか、そういう、ちょっと重すぎて避けて通りたいようなことが、けっこう真正面から描いてある。
それでいてストーリーはあくまでも軽快で面白く、登場人物は魅力的で、文章はみずみずしくうつくしい。そして後味はさわやか。

生きることにちょっとばかり疲れてしまった大人にもおすすめ。

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「ノルウェイの森」映画化

なんだそうですよー
なんで今になって…って感が強いですね。ベストセラーになったのってもう20年ぐらい前では??

わたしは春樹ファンですから、3回ぐらいは通してこの作品を読んでいます。
わたしが思うにこの作品は村上春樹としては異質なほうだと思う。
あまりにも哀しすぎるから。

個人的にはもっと冒険もの(?)的要素の強い小説のほうがこのみ。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」とか「羊をめぐる冒険」とか…「海辺のカフカ」もよかったなー

だから「ノルウェイ」だけを読んで村上春樹ってこういうの書く人なんだーとは思って欲しくないのです、正直なところ。がまん顔
映画化を機にたぶんまた読まれると思うけど、どうぞ他の作品も読んでね、っておもう。

キャスティングがどうなるのかは注目です。とくに主人公は重要だよね。
村上春樹の小説の主人公ってどんなに設定を変えてもいつも同一人物な気がするぐらい、根底にあるものが似通っているように思う。
繊細で心優しく、でも大胆で緻密で、そして有能で前向き。

ま、原作と映画は別物と思って臨んだほうがいいとは思いますが。

2010年公開予定。
村上春樹さん本人はかなりの映画通ですから(そしてジャズとクラシック通)、そして監督であるフランス人のトラン・アン・ユンという方は村上さんの好きな監督だそうですから、きっといいものに仕上がるのでは。

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「風に舞い上がるビニールシート」

「風に舞い上がるビニールシート」 森 絵都 

短編集。それぞれにまったく趣向の違う6編の短編が収められている。
どの話も印象的で味わい深く、やはりこの人は若いながらも力のある作家だなあと思う。

なかでも表題作の「風に舞い上がるビニールシート」は秀逸。読んでいて涙がぽろぽろこぼれてしまった。

難民問題。ニュースとして耳には入ってくる。家族を殺された子供や、食べ物も安全な水もない悲惨な現状も映像では見る。

でも結局安全な国に暮らすわたしたちには、それは「海のむこうの他人事」でしかない。

しかし、現地で危険にさらされながら難民のために日々奔走する人たちは実在する。
彼らにとっては「個の幸せ」よりも「世界平和」が優先で、でもその仕事は、まるであちこちでつぎつぎに風に舞い上がるビニールシートをおさえるような、終わりのない仕事なのだ。

いろいろ感想を書こうと思ったけれど、この小説から受けた感動は、わたしの稚拙な言葉ではとても伝えきれない。
ともかく短編ながら緻密な取材と膨大な参考文献にささえられた力作。
多くの人に読んでもらいたいです。

☆☆☆☆☆


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「村上かるた うさぎおいしーフランス人」

村上春樹さんといえば、わたしにとっては「師匠」とも言える存在なのですが。

ううーむ。なんなんだこの本は。
はっきりいって笑えなかった。なんとゆーか、オヤジギャグ満載…

図書館で借りてよかった。

水丸さんの絵がせめてもの救いです。

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カラフル

「カラフル」 森 絵都 著

死んだはずの「ぼく」はとつぜんやってきた天使によって人間界に舞い戻らされる。「おめでとうございます、抽選にあたりました!」。というよくわからない言葉によって。

なんでもぼくは前世で犯した悪事を思い出すために、1年間誰かのからだに「ホームステイ」しなければならないというのだ。

乗り移ったのは「小林真」という自殺したばかりの14歳の少年。 

これがさえないヤツで、友達もいなければ勉強も運動も芳しくない。            おまけに父親は自己中で母親は不倫中。兄貴は意地悪であこがれの女の子は援助交際中。

しかし真として生きるうちに僕はいろんなことが見えてくる…

死んじゃったら帰って来れない。見方を変えればいろんなことが違って見えてくるのに…。そして死を選ぶことは人間として許されざる重罪なのに。

これはわたしが折に触れいろんな言い方で子供たちに伝えていること。それを子供にも読みやすいかるくやさしい文章でつづった物語。

お役人も「命の大切さを伝える緊急アピール」とかいう、魅力のない形だけの文章書いてないで(いぜん子供がもらってきました)、こういう物語のひとつも読ませればいいのにね。

☆☆☆☆

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「にんきもののはつこい」

いま地元の点訳ボランティアのサークルで頼まれた「にんきもののはつこい」という絵本の点訳を打っているのですが、これがおもしろい!絵もかわいいけど。
作者は直木賞作家の森絵都さん。
知らなかったんですけどこの方って児童文学からデビューされた方だったんですね。

かいつまんでいうと、主人公は小学生の女の子まいこちゃん。彼女は、父親が浮気して家を出てったがゆえに、「わたしは魔性のおんなになって10人ものおとこにかこまれてくらすのよ!」といきまいている。
そんなまいこちゃんがはじめて恋をするのだけれど、その相手の男の子は金魚に夢中で…というコメディタッチのものがたり。

あんまりおもしろいんで二人の息子にも読ませました。ふたりともかなり受けてた。

小さい子供向けの絵本としては、「ましょうのおんな」だったり家庭崩壊をあつかっていたりとかなりシビアな内容だし、言葉ももけっこう辛らつ。小さい子供にはむずかしいかも?と思えるような言葉を選んであったりする。(すべてひらがなだけど)
最近のこどもは耳年増だから理解しちゃうんでしょうか?
しかしそれをじつにテンポよくユーモアたっぷりに描いていて、ラストはこころがぽっとあたたかくなる。(○○が△△をうむのか?という多少の疑問は生じるが)

ぜひこの方の違う本も読んでみたい。

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「走ることについて語るときに僕の語ること」

「走ることについて語るときに僕の語ること」 村上春樹 著 を読む。

「走る」作家、村上春樹さんが何を思い(それは走っているときにじっさい何を思っているかもふくめて)、何を目指して走ってきたか。それはかれにどんな影響を与えてきたか。
そんなことがいくつかのレースに出場した体験記を通して、まっすぐ真剣に、そして深い洞察力をもって書かれた本。
走ることから派生して、専業作家になるまでの道のりや(かれは大学在学中に結婚して、卒業後はジャズバーを経営していた。そして商売は軌道に乗っていたらしい)、作家になってからの心境の移り変わりなども書かれていている。

ものすごく面白かった。

いつものユーモアにとんだ軽いエッセイという文章とは違っているけれど、走ること(トライアスロンも)は彼にとっては「生きる」と同義語のようなものなんだなあと思えてくる。
読んでいるうちに贅肉だらけの自分の体(そして生き方)が恥ずかしくなってきて、走りたくなる。(いまは1キロも走れないだろうけど)余計なものをそぎ落としたくなる。(村上さん自身は走ることをみんなに勧めてるわけではまったくない)

珠玉のような言葉の数々が並んでいる。ぜんぶ書き写して端からかべに貼っていきたい位。もちろんそんなに書ききれないからひとつだけ。

「僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。」

☆☆☆☆☆

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どうするかなあ…

村上春樹さんの新刊、「村上かるた うさぎおいしーフランス人」が出てます。

村上春樹といえばわたしとしては唯一、新刊本をほぼ必ず買う作家なのですが、今回は「うーんどうしようかなあ」と思い、本屋で2回手に取り、やはり買いませんでした。

だってあの内容で1600円…(内容を知りたい人は本屋でぱらぱらとめくってみてください)
「またたび浴びたタマ」のときも「ちょっとなあ」と思いましたが。

でもそういうふざけた部分も含めて村上さん、好きなんですけどね、ふふふ。

 

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「あした笑顔になあれ~夜回り先生の子育て論」

「あした笑顔になあれ~夜回り先生の子育て論」 水谷 修著 を読む。

「夜回り先生」として有名な水谷修氏の著書。なんとなく手を出しかねていたのでお初。

今の子供たちがいかにぎりぎりのところで生きているか、ということが、自傷行為や援助交際、薬物依存などに走ってしまう子供と接した実体験を元につづられている。
救えた子もいるし残念ながら助けられずに亡くなってしまった子もいると。

「父親ならストレスをお酒で発散できるし、母親なら友人とのランチなどで息抜きできる。でもこどもたちは学校でも家庭でもストレスを受け続けて、息抜きの場がない」(大意ですが)ということばにはっとする。

ううむ、そのとおりかもしれない。

リストカットなどのいわゆる問題行動は、彼らにとってのガス抜きで、それをすることでかろうじて生き続けていられるのだと先生はいう。

そしてわたしたち親に出来ることはなにか。

まずこどもを信じて、危なっかしいと思ってもすぐになんでも手出しをせず見守ってやること。(それには親側の「こころの余裕」が必要)

ほんとうにやばいと思ったときは親一人で抱え込まず、専門家の助けを借りること。

自分のことでいっぱいいっぱいになっているときに、周りの人に優しさを配ってあげるといい。
大げさなことではなくちょっとしたボランティア活動をしたり、回りの大人に挨拶をしたりするだけで子供たちがみるみる変わっていく、というのは子供ばかりでなく自分自身にとってもヒントになった。

いろんな人と出会わないと、人は成長することが出来ない。
だから引きこもりの子などは年齢は重ねていても、こころは引きこもる直前の年齢で止まっている、という。
引きこもりでなくても決まった人としか付き合わないでいるとそうなるかも、と思い、すこしドキッとした。

いすれにせよ、実体験を伴っているからこその言葉の重みを感じた。

ところで水谷先生って仏教徒なのかな?何度か仏教の話が出てきたので。

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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 J.D.サリンジャー 著 村上春樹 訳

いわずとしれたサリンジャーの名作「ライ麦畑でつかまえて」の村上訳版。
いぜん読みかけて挫折したので再チャレンジのつもりで読み始める。

主人公は16歳のホールデン。彼が読者に向かって語りかける形式で物語は進行する。
このホールデン君は高校生なのだけれど、いわゆる社会不適応で、もう高校を4つも替わっている。その4つめの高校も退学になったところからこの物語は始まる。

さすがのホールデン君もまっすぐうちに帰るのは気が引けて、かつてのガールフレンドや恩師に電話して会ったり、成人のふりしてバーで酒を飲んでみたりとさんざん道草を食うのだけれど、じぶんの居場所をうまく見つけることが出来ない。
とにかくまわりのものすべてが、「インチキ」で「うんざりする」代物でしかないのだ。

結局「こそっと」うちへ帰って、唯一といっていいぐらいお気に入りの妹に会うのだけれど、彼女にも退学のことを告げたとたん「お父さんに殺されちゃうんだから」と連呼されてしまう。行き場をなくしたホールデンはとうとう家出を決行しようと思いつく…

10代のある時期、こういういらついた気持ちになったことは、あったとおもう。完璧に感情移入とまではいかないけれど、世の中の大人たちとか、社会とか、そういうものにたいしてとげとげしい気持ちになる、そういう時期があるのはよくわかる。

いまのわたしは10代の子供を持つ親の立場なので、親側にたって見てしまうのだけど、(ちなみにこの話にホールデンの親はでてきません)
そういう時期のこどもって親から見ればほんとうっとおしいし、扱いにくい。
でも(前述の芝居ではないけれど)、ここでもまた「子供の居場所だけはなくしちゃいけないなあ」と思った。

いまの自分にとってのキーワードがこれなのかもしれないね。(人は見たいものを見るものです!BY寿庵)

☆☆☆

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「盾 シールド」

「盾 シールド」 村上龍 著 を読む。

キジマとコジマは幼馴染。
愛想がよくて大人受けのよいコジマに比べ、キジマは反抗的で無愛想と、性格はまったくちがうけれど不思議に仲良し。
そのふたりがある日世捨て人の老人に会いにいくのだが、その老人にこういわれる。

「いろいろなできごとにたいして感動したり悲しくなったりするのは、体の中心にある、やわらかい、たいせつなものが信号を出しているからだ。人間はそのたいせつなものをどうにかして守っていかなければならない。そうしないとそのやわらかいものは縮んで固くなってしまい、感情も感動も、何もかもを失ってしまう。そのためには盾、シールドが必要なんだ」

ふたりはそれから成長し中学、高校とすすみ、やがて社会人になっていく。
ドロップアウトしたり、「勝ち組」感を味わったり、いろんな経験をしながら、それぞれがじぶんにとっての「シールド」を探していくのだが…。

非常に考えさせられる話。
たぶん人生のどの段階にある人も(子供でも大人でも老人でも)、その段階ならではの感じ方をし、かんがえさせられるのではないだろうか。

基本的には非常にやさしくわかりやすい文章で、はまのゆかさんのやさしい絵が随所に添えられている。
本棚に置いておいて、折に触れ読み返したら得るものがあるかも。
絵本形式にしたのは、村上さんのそういう意図があったのだろうか。

ちなみにわたしが読んだのは、けっこう精神状態に余裕がないときだった。
というのは、あたらしい仕事をはじめたのはいいけれどミスの連発で、クライアントにぽんぽんいわれてたときだったから。
仕事は慣れないし、期限は迫るし、いわれたことは頭をエンドレスで駆け巡るしで、はっきりいって家のことをする余裕も、他人や自分の子供のことをおもいやる余裕もぜんぜんなかった。

でも、仕事にかまけてほんとうにたいせつなことを見失ってはいけないなあと改めて感じる。
(結局いろいろかんがえて、けっきょくそのクライアントの今後の仕事はお断わりしたわけですが)

事態は根本的には解決してないし、落ち込みモードからは完全には脱却できていないけれど、 気持ちはだいぶ楽になりました。

いろんな人に、おすすめです。☆☆☆☆☆

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「わたしは甘えているのでしょうか 27歳 OL」

以下引用があまりに不正確だったので訂正しました。

「わたしは甘えているのでしょうか 27歳 OL」 村上龍 著 を読む。

世の中に村上龍派と春樹派がいるならば、圧倒的に春樹派のわたし。龍さんもいくつか読んだけれど、どうも肌が合わなくて…
でもこの本は以前から興味があったので読んでみる。

若い世代の会社員(OLさんが圧倒的に多い)からの素朴な質問に龍さんがこたえるという形式の本。春樹さんのほうも読者からの質問シリーズ本、いっぱい出てますが、こちらはそれにくらべると質問の内容も絞ってあるし(世相を反映して経済格差にたいする不平や疑問が多い)、かなりシビアー。

質問はどれも正直で簡潔。「もっともだよなあ」と思えるようなのが多い。
「団塊の世代は1千万円ももらっていてずるくないですか?」とか、「30過ぎたら転職先がない?」とか…
(もっともわたし自身はいわゆるOLではなく、技術系の「仕事はきつくて給料は少ない」会社にいたので、ちょっとちがうかもという部分もあるけれど)

それにたいする龍さんの答えはずばっと、冗談抜きでほんとうのことだけを言ってるなあってかんじ。
前書きで龍さんは「できるだけ優しくこたえた」と書いていたけれど…かなりきついと思います、建前抜きだし。

たとえば
「収入アップに向け転職を希望。でもホリエモンも逮捕されたし、無理して欲張ってもろくなことがないのかな」というようなことを言う人には、
「そのこととホリエモンとはまったく関係がなく、でたらめな論理。転職にはエネルギーが必要なので、「めんどくさいからやめよう」ならわかるけれど堀江前社長を持ち出すのは自分へのごまかし」と一刀両断。

「若いうちは自分に投資、と飲み会参加や買い物をしまくっています」という人には、
「それのどこが投資なんだろう、ただの浪費。スポンサーに媚びてうそを伝えるテレビや雑誌にだまされている」と言ってみたり…

でもわかりやすくて面白かった!

基本的には「社会なんてそうすぐには変わらないのだから、そういう状況を何とかしたいといってもなんともならない。自分がどういう風になりたいのかをかんがえて、むやみに他人と比べずに個人的努力をしたほうがいい」という意見をおもちのようで、その考えには深く納得できる。

☆☆☆☆

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「グレート・ギャツビー」

「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド 著 村上春樹訳 を読む。

野崎孝さんの訳ではむかーし(10年くらい前?)読了済だったけれど、ほとんど内容は記憶にあらず。ただ冒頭の部分と、ギャツビー氏が週末ごとに豪勢なパーティをくりひろげる場面は記憶していた。

改めて読み返してみて、こんなに切なくて、哀しい物語だったのかと思う。

描写は繊細で丁寧。最近の軽めの文章に慣れた身としては多少まだるっこしい部分も。物語として引きこまれるものもある。はじめは「村上訳」ということで読み始めたけれども、読んでいる途中はほとんど村上さんを意識せずに読んでいたし。
ただ村上さんほどには正直この小説をすばらしいとは思えなかったかな。原文で読めばこの小説の真価がわかるのかもしれないけれど。

ちなみに村上さんはこの「グレート・ギャツビー」を人生の中でもっとも重要な本と位置づけていて、ことあるごとに読み返し励まされてきた、とあとがきの中で語っていたけれど、どちらかというと「希望」というより「絶望」の物語ですよね、これ。なぜこの話で励まされるのかいまのわたしにはよくわからない。

現時点では☆☆☆というところでしょうか。

もっと年をとればわたしにもこの小説がより深く理解できるのかも。

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「三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年」

「三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年」 三谷 幸喜 著 を読む。

三谷さんのエッセイはいつも楽しくて、なんでこのひとのまわりにはこんなに次々と面白いことが起きるのかしらとおもうぐらい。たぶん本人は必死なんだろうけどと思いながらも笑ってしまう。

でもこの本は(「新撰組!」にとりかかる前だから4年くらい前の本ですが)、舞台初日直前に主演俳優がたおれたりなどあまりにも大変なことが目白押しで、文字どおりの「怒涛の厄年」というかんじ。そのせいか他のエッセイに比べるとテンション低めというか本気で余裕がないかんじだった。
三谷さんとは「サンシャインボーイズ」時代からのつきあいで、同志でもありひじょうに信頼を寄せていた役者さんでもあった伊藤俊人さんが亡くなった出来事についても書かれている。
「お水の花道」でも活躍されてましたよね、伊藤さん。40歳なんて、ほんとうに若すぎる死でした。しみじみ。

「HR」という深夜番組の製作現場の話はおもしろかった。あれは本当に30分カメラを回しっぱなしで収録したらしい。これって映像用の演技のみで舞台慣れしていないひとにはかなり大変なことじゃないかと。
でもだからこそあれだけおもしろいものに仕上がっているんだろうな。取材のためにおとずれた定時制高校の話もおもしろかった。
あと三谷さんはSMAPの香取慎吾くんに絶大の信頼を寄せているんだけれど、かれはどんな場合でもけして他のひとや現場の悪口を言わないらしい。
ああいう仕事上嫌な思いをすることも多いだろうに、若いのに出来た人だなあとあらためて見直してしまった。

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「かもめ食堂」

「かもめ食堂」 群 ようこ 著 を読む。

映画化もされた作品なのでご存知の方も多いと思うけど、わたしは映画を見たいと思いつつ見逃したので、せめてと原作を読んでみる。

38歳、独身のサチエは、おしゃれでも洗練されてもいない「普通の」おいしい日本食をだす食堂をやろうと、単身フィンランドにわたる。
そこで日本人女性ミドリや現地の日本好き(というかガッチャマン好き)の青年トンミなど、いろいろな(ヘンな)人たちとかかわりながら、だんだんその町にとけこみ、店も軌道に乗ってゆく…。

ユーモアと生命力にあふれた文章で、どんどん読み進むことができる。登場人物が元気で豪快で、本人は結構悩んでいてもどこか間が抜けていてあかるいのだ。
この話もかなりのスピードで読み終わってしまった。ヘンな人がいっぱい出てきて笑える。

ただ話的にはすこし無理があるというかまとまりすぎかな?という気がした。
夫の浮気に怒り狂っていたリーサが「わたし、待つことにしたわ」というあたりから特に。

見たら巻末に「この小説は映画のための書き下ろし」という一文が。
妙にまとまりすぎというか、起承転結のはっきりした小説になっているのはそのせいかもと思う。

DVDでてるのかなあ、あったら借りてみようっと、小林聡美さん主演だし(「やっぱり猫が好き」以来かなり好きな女優さんなので)。

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「いいわけ劇場」

柳美里さんの重いドキュメントが続いたので小休止に軽めの読み物を、というわけでもないけれど、
「いいわけ劇場」  群 ようこ著 を読む。

群ようこさんひさしぶりー
むかし椎名誠さんにはまっていた時期に、「本の雑誌社」の事務員だったという群さんにも興味を持って読んでいた。独特の豪快なユーモアセンスがたのしい。

これも「やめようと思いながらやめられない、やりすぎちゃう人たち」の日常をユーモアたっぷりに描いている。食べるのをやめられない女、猫にえさをやるのをやめられない老夫婦、化粧のエスカレートを止められない女、「癒し」を追求しすぎてストレスになっている女…

爆笑、とまではいかなかったけど、くすっと笑える話だった。
ここまですごくなくても、これに近いひとは大勢いるかも…とちょっと思わせられたり。

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「CARVER`S DOZEN」レイモンド・カーヴァー傑作撰

「CARVER`S DOZEN」レイモンド・カーヴァー傑作撰 レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 を読む。

普段翻訳ものはめったに読まない。よみづらいから。
そんななかでも村上春樹さんの訳したものだけは読むように心がけてきた。
マイケル・ギルモアやティム・オブライエン、最近ではサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とかね(もっともこれは途中挫折。またチャレンジしてみます)。
しかしさすがの村上氏をもってしてもやはり日本の小説に比べて格段に読むスピードは落ちてしまう。
そんななか比較的物語にはいりこみやすく、物語も印象的だったのがこのレイモンド・カーヴァーである。

この本は村上春樹さんがえらんだ傑作短編集で、さすがにどれもちがった味のある物語ばかりである。
なかでも好きなのは「ささやかだけれど、役に立つこと」。(このブログのタイトルもその題名からインスパイアされたものなんですが)
こどもがらみの悲しい物語なので、読むたびに涙ぐんでしまうのだが、ラストはあたたかく、読後感がよい。
他の短編はわりに「ん?これで終わるの?」みたいなものも多いのだけれど(それはそれで面白いけど)、この物語は起承転結がはっきりしている。
「足もとに流れる深い川」や、「大聖堂」も好きだったな。

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これだけは、村上さんに言っておこう

ネットで注文して楽しみに待っていた本、「これだけは、村上さんに言っておこう」が届いたので仕事の合間にすこしずつ読んでいる。

これは、一般の読者から村上春樹さんに届いた質問メールに村上さんが返信したものを本にまとめたもので、同じ形式でつくられた「そうだ、村上さんに聞いてみよう」の続編である。
読者からの質問は、「この世で一番好きな食べ物は?」といった軽いのものから、「どうしたら自分が好きになれるか」といった深刻なものまで多岐にわたるのだけれど(6対4ぐらいで軽いものの方が多いようにおもう)、
それに対し村上さんはさすがの筆致で時にはユーモアまじりに、時には大変まじめに、こたえている。
まじめなものはもちろん、ユーモア混じりのものであっても、おざなりではなくきちんと書かれているところが村上さんらしくて、すごくいい。

ただ、「これだけは~」については(まだ4分の一くらいしか読んでいないけど)ほとんど読んだことのある質問ばかりだなと思っていたら、末尾に
「本書は「CD-ROM版村上朝日堂 夢のサーフシティ」「スメルジャコフ対織田信長家臣団」から一部を抜粋したものです」とあって両方持っているわたしはちょっとがっかり。
もっともCD-ROMより活字のほうが思いついたときぱっと読めるからいいけど。

このシリーズはどこから読んでも、何回読んでもおもしろくておすすめ。このひとの考え方は健全で、それでいて独創的で、読んでいると心が軽くなってくる。

そういえば複数回の鑑賞に堪える、というのは村上さんの小説にも共通するなあ。

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「東京奇譚集」

村上春樹さんの新作「東京奇譚集」を読む。
ちょっと不思議な話を集めた短編集。雰囲気的には「レキシントンの幽霊」ににてるかな?
おもしろかった。

それぞれの物語すべて味があってよかったのだが、とくによかったのは「ハナレイ・ベイ」。
息子を鮫に食われて亡くした母親、サチのキャラクターがユニークだった。
「息子のことは愛してはいたが人間としては好きではなかった」というくだりがとくに。(もちろん深い悲しみはあるのだけれど)
でもそういうこともあるかもしれない。

そのなかで「何はともあれあるものを受け入れなければならない」という言葉が出てくるのだが、その感じはほかの物語についても共通して流れている気がした。かんがえてみると村上さんの小説の基本姿勢ってそうかも。
他人から見ると相当ひどい状況に置かれていても、当人たちはとくにもがきくるしむわけでもなく(内心はどうあれ)「そういうものなんだ」というかんじで受け入れ、そのときすべきことを淡々としていたりする。(たとえばアイロンをかけたりスパゲッティをゆでたり)
またそういうばあいにけっこううらやましい状況におかれていたりする。食料のぎっしりつまった山小屋に閉じ込められたりね。

しかし「東京」奇譚集である必然性はちょっとなかった気も。たんなる語呂かな?

ところでわたしが村上さんの短編小説の中で一番好きな「図書館奇譚」という話が、このあいだ「不思議な図書館」(だったかな?)と改題されて(加筆訂正もされてるのかな)佐々木マキさんの絵をつけて出版されているのを目撃した。買わなかったけど…

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